続Super Game Page ―悪徳の栄え―

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<<   作成日時 : 2006/06/15 00:47   >>

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先月号(6月号)の文藝春秋での対談記事の中でこんな一節を見かけました。

「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳にすぎない」

これを見るなり、サドはこれを参考にしたのかとすぐにピンときました(実際のところは知りません)。と同時に、この名文句で始まる『ラ・ロシュフコー箴言集』を知らなかった自分を恥じました。そして、早速、『ギリシア・ローマ名言集』と一緒にオーダーしました。

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はっきり言って、この「箴言集」でもって、このブログで言わんとすることは全て言い尽くされています。僕はこれを真似したわけではないですが、図らずも、スタート地点がゲームであるだけで、目標としているところは一緒のようです。生まれも育ちもまるで違うのに不思議です。僕はその目標に対して1割も接近していませんが、ロシュフコーは恐らく5割くらい、ギリシア・ローマの人々(哲人という連中でしょうか)は9割以上まで接近しているような感覚です。でも、きっと彼ら自身も目標にはほとんど接近できていないと思っていたことでしょう。大体、こういうのは遡っていったらキリがなくて、「最初の人類もこんな風に考えてたんじゃないの?」と言いたくなるくらいです。

こんな風に、読書をしていると、全く違う時代にも自分と同じような考えを持っている人がいたんだと知ることがあります。これが中々愉快でして、僕が古典を好むのはこのためだったりします。こういうことを繰り返すと、どの時代でも人間の考えなんてものは大差ないと思うに至ります。もしかすると、僕が冷め気味だと評価されることの裏には、こういうことがあるのかもしれません。

ここで、この箴言の中でゲーマー向けと思われるものを適当に抜き出してみます。

・われわれの自尊心にとっては、自分の意見をこきおろされるよりも趣味をこきおろされるほうが、いちだんと苛立たしく我慢できない。(13)

・欲で目が見えなくなる人があり、欲で目を開かれる人がある。(40)

・小さなことに熱中しすぎる人は概して大きなことができなくなるものだ。(41)

・人ははっきりと裏切るつもりで裏切るよりも、弱さから裏切ることが多い。(120)

・心中得意になることが全くなければ、人にはほとんど何の楽しみもなくなるだろう。(123)

・人は自分が他人の邪魔になるはずがないと信じ込んでいる時、えてして他人の邪魔をしているものだ。(242)

・自分の利益を諦めるほうが、自分の趣味を諦めるよりもむしろ易しい。(390)

こういうことをやる僕の心理はロシュフコー的にはこうなるのでしょう。

・断じて媚は売らないと標榜するのも一種の媚である。(107)

・人は自分について何も語らずにいるよりは、むしろ自分で自分の悪口を言うことを好む。(138)

ちなみに、これらとは関係なく気に入ったのはこんなものです。

・人間は、もしお互いに騙され合っていなければ、とうてい長い間社会をつくって生き続けられないであろう。(87)

・称賛を固辞するのはもう一度褒めてほしいということである。(149)

・われわれの行為は題韻詩のようなもので、各々好き勝手なことにこじつけて辻つまを合わせる。(382)

・葬式の盛大さは、死者の名誉よりも生者の虚栄心のためのものである。(MS38)

エッセンスは、全ての根源は自己愛にあり、運とその自己愛の扱い方が重要だということでしょうか。自己愛は誰もが当然に抱いていますが、これを適切に偽装できないと社会生活が上手く行えません。全く偽装できない類の人は、医者から「自己愛性人格障害」と診断されて病院に送られることさえあります。ま、常に、自分が自己愛とどう付き合っているのかを振り返って反省しながら物事を行うのが大事じゃないかと思います。そうそう、こういうのって別に「人間社会はこういうものだ」って規範的に述べているのではなくて、「こう考えた方が刺激的で面白かろう」という発想の源を提供してくれてるものでしょうから、そこのところに少し注意した方がいいと思います(必要以上に悲観したりいきり立っても仕方ないです)。

ところで、学校での道徳の時間は、美徳じみたくだらない話を聞かせるよりも、こういうものをしきりに朗読させる方が良いと思いますね。大人になってから道徳の教科書なんか読む人はいませんが、これなら、死ぬまでに何度も読み返し、時には笑うこともできて遥かに有益です。300年、10世代以上がそうしてきたからこそ今残っているわけで、それを尊重してもバチは当たらないはずです。

参考:
ラ・ロシュフコーをGoogleで検索してみてください。

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