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zoom RSS 文藝春秋7月号とゲーム

<<   作成日時 : 2006/06/16 20:05   >>

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僕は文藝春秋と波長が合うらしく、毎月この社名を冠した雑誌を読んでは新しい知識を得ています。しかし、年齢にはそぐわないと見做されるのか、「辛気臭いね」と言われることも多くあります。そんな雑誌の今月号について書きます。

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ここで一つ注意。僕がこのブログで「ゲーム」と言う際には、格闘ゲーム、ビデオゲーム全般、勝負事の3つ(具体性の多寡による)を割に混ぜて使ってます。文脈からどれか一つに決まるようにはしてますが、やや曖昧なので気をつけてください。それと同様に、「ゲームを止める」も、何年か前の段階では「これ以上の強さを求めることは止める」というニュアンスで使っていましたが、今は「完全に離れてプレイ時間さえ余程特殊な事情がない限りは取らない」という風に使っています。

とはいえ、世の中で「ゲーム」が使われるときもかなり適当です。例えば、論客として有名な櫻井よしこさんはこんなことを言ってます。

「いまの子どもたちは、日常のなかで死を現実のものとして感じることができない状況にあります。爆弾を落としたり、人を斬り殺すようなテレビゲームで遊び、『死』に麻痺している。核家族化で、家のなかで祖父母の死を肌身で感じることもなくなりました。だから、少年犯罪で『人を殺してみたかった』というケースが出てくる。昔なら、人を殺すなんて、まず空恐ろしかったでしょう」(P.102)

ここでは「テレビゲーム」としてますが、普通は「ゲーム」と言われるところです。この文、一見するとまともそうで、実はそうでもありません。まず、「『死』に麻痺する」要因としては、テレビゲームよりはむしろ殺人事件のニュース、サスペンスドラマ、ホラー映画などの方が大きいと思います。子供には、親が見るものへと無条件に注意を向ける習性がありますし、これらの情報に接する時間と頻度はゲームを圧倒します(最初に触れる死は普通ならテレビの中にありますね)。単に、メディア全般を親が扱いきれてないだけでしょう。そして、後半に「人を殺してみたかった」とありますが、今になって出てくるんじゃなくて昔から幾らでもそんな子供はいます(大人でも)。そんなのは、サドの著作を一つ取ってみたって分かります。統計を見たって子供の凶悪犯罪なんてのは昔から多くあります(実は、団塊の世代あたりがピークだし、一般的に、好奇心の暴走は親がどうこう言って抑えられるものでもありません)。これは、「だから」の機能を悪用した詭弁です。これは、僕に言わせると、論客(ジャーナリスト)でいながらにして、メディアを使いこなせなかった自分及び自分たちの世代の責任から逃れようとしているだけにすぎません。

それでも、全体としては僕は櫻井さんのスタンスには共感しますし、政治に関しての言論にも説得されます(どちらかといえばかなり好きな方)。これほど聡明な人でも簡単な間違いを起こすのには純粋に驚きます。

次は村上ファンドの特集からです。

「……村上もゴルフが好きで、『腕前は中の上だが、ゴルフをすると何でも賭けの対象にする。すべてゲーム化して楽しむのが村上流』(別の知人)だという」(P.122)

ここでの「ゲーム」は勝負一般に近いと思います。この村上という人は、幼い頃からマネーゲームに親しんでいたといいます。僕に言わせると、これこそゲーム脳の典型です。現実世界に侵食してきてしまった分、ビデオゲームよりもよほど有害です。もっとも、僕もこういう性質は分からなくはないんですが、露骨にやったら警戒されて失敗するだけに決まってます。事実、同級生の方曰く「勝負どころに弱い」上に「大胆なようで本質は小心、臆病な男で、すごく怖がり」なんだとか。現役での東大受験の際には当日に熱を出し、翌年も直前に相撲を取って骨折して二浪しかけ、在学中も決して抜群の成績ではなかったというエピソードも併せ聞くと、「ゲームと逃避ってのは何か関連してるのか」と思わずにはいられません(こじつけかもしれないから、思うだけです)。

ゲームからの連想で戦争に関して最後に少し。石原慎太郎都知事がこんなことを言ってました。

「(少年時代、P-51戦闘機の徒な機銃掃射に追い立てられて)敵機をやり過ごして近くの森に逃げこもうとする途中、再び爆音が聞こえてきた。今度はうねの浅い芋畑で身を隠すことができない。半ばあきらめたら、不思議に掃射がない。仰いでみたら、さきほどの敵機を追いかけてきた、厚木航空隊の戦闘機だった。その味方機の褐色の胴体に描かれた日の丸を目にしたとき、すがりつきたいほどの衝動、情動にかられたものだった。あの瞬間、私はその日本の戦闘機に投影された日本という国家に文字通りの愛着を感じ、エロスを感じていたのだと思う」(P.114 括弧内は僕によります)

これを格ゲーに結びつけるのは乱暴ですが、敢えてやります。いけ好かないプレイヤー(いわゆる厨房)がさっくりと始末されるのを見て、胸のすく思いをしたことはありませんか?誰もがこういう経験を恐らく持っているはずです。もしかして、格ゲーに愛着とエロスまで感じてしまい、頭の奥深くにまでそれが刻み付けられてしまったゆえに、格ゲーから離れられないということもあるのかもしれませんね。「格ゲーとエロス」って並べてみると妙に好奇心をそそられるのが、これまた愉快です。

注意:
310ページからの斉藤孝氏によるゲーム絡みの議論もありますが、触れませんでした。オーソドックスな内容で、ゲームのように次から次へと興奮の波が押し寄せてくるものは遠ざけて、禅などの修業を通して「退屈」に耐える訓練をさせるべしという内容です。斉藤さんと僕のブログは比較的近いと思います(でも、彼はどんな風にゲームと関わってきたんでしょうかね?)。

参考:
文藝春秋7月号
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm

少年犯罪データベース
http://kangaeru.s59.xrea.com/index.htm

ゲームと自殺
http://liquidmetal.at.webry.info/200606/article_10.html

光クラブ事件
http://liquidmetal.at.webry.info/200606/article_17.html

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