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zoom RSS 心とテレビとゲーム

<<   作成日時 : 2006/06/25 00:35   >>

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最近、『ゲド戦記』のCMで「♪心を何に喩えよう〜」って歌が流れています。心なんてテーマを扱うのはおこがましい気がしますけど、また長々とやります。

長さと言えば、「あなたを一言で表すと?」のような質問が流行することからも分かるように、短いものほど好まれる傾向があるようです。それも大事だけれど、長々と丁寧に丁寧に書くことも大事だと思います(長さと丁寧さは極めて近い概念)。いちいち、「と思う」と僕が付け加えてるのもそれが理由で、思ったことは「思った」と書くのが誠実だと考えているからです。断言すると、まるでそれが世の中の真理かのようで、押し付けがましくてかないません。

一つ前の記事は週刊誌をメインに扱ったので、テレビから心を考えてみます。突然ですけど、これを書いているのは2006年6月22日で、木曜日です。木曜日と言えば、昔から見ているドラマがあります。それは「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)です。自分にとってなぜこれが面白いのか考えてみました。

端的に言ってしまうと、そこに、「普段の生活ではまずもって会話として表れることがなさそうな心の内の内の流れを、人物が高らかに述べる滑稽さ」を見出し、心惹かれているのです。あのドラマは台詞が長いことでしばしば批判を受けますが、内の内に迫っていったら長くなるのは当たり前です。それを、家庭の枠内でやってみせているからこそ親近感があり、長く支持されているのだと思います。キャストとかストーリーなんてものはどうでもいいんです。ずっと見てますけど、キャストは変わるしストーリーも全然ありません(最初からずっと、「家族に問題がおきました、その心のうちはこんなことであろう」というものを役者が代弁し続けるだけです)。そんなものに期待して見ても、面白くないと僕は思います。僕にとって面白いのは、原作&脚本の人が観察した心理の動きであり、彼女達の心に迫れるところです。それにしても、10年以上も我ながら飽きもせずに見ています。

これが良いのは家庭とリンクしていることにあります。家庭の中で家庭の中にある様々な心理の動きをテレビを通して見るなんてのは愉快極まりないことです。すぐさま、「ホラ、アンタも同じ事言われてるじゃん」と共通の話題になり、時には、怒りも笑いに変わってしまいます。

対して、ゲームはどうでしょうかね。ゲームに関して、「渡る世間……」の後に「プロフェッショナル」(NHK)でやっていたので、これについて書いてみます。

ここで扱われたのは「ムシキング」の開発でした。僕は、昆虫に対して思い入れがあるので、時には目頭を熱くしながら見ました(というか少し泣きました)。しかし、最後には言いようのないわだかまりが残りました。

彼らの開発に対しての取り組みは確かに納得できます。自分の子供にも遊ばせられるゲームを作りたいという熱意にも共感します。彼らが子供が実際にプレイするのを見ながら言っていた、「連打するのは早く進みたいということ。ストレスからの逃避を志向している」みたいなことにも納得します(そこから難度調整をするのでしょうか)。更には、イベントにも積極的に乗り出して、子供たちとの対話をするというその行動力にも僕は敬意を持ちます。

しかし、どうしても足りないものを感じます。それは、「ゲームはゲームである」という見方です(拡張すると、「メディアはメディア」とも言えるかな)。チームリーダーの開発者は、「指示されたことをやっても成功体験にはならない」と部下の方々にあまり具体的に支持を出すことなく、とても巧みに率いていましたが、ここに僕は強い違和感を抱きました。なぜなら、彼らが煽動している子供たちは、まさに、その「成功体験にならない」ことに熱中させられ、成功を体験した気になり、金を取られているからです。こんなのは矛盾も甚だしく、プリンシプルが無いことに他ならないと僕は思いました(他に「相手がいるという対戦感覚が熱中させるのに必要だ」とも言ってましたが、そうやって対戦ゲームなんてくだらない世界へと真顔で陥れようとするのにも嫌悪感を抱きました)。

そしてまた、虫が何たるものかもう少し語ってくれても良いじゃないかと思いました。ゲームの映像がリアルだからこそ、子供たちが虫を分かった気になってしまうことを僕は危惧しています。大体、虫は無意味に戦ったりしませんし、誰かに操作される対象でもありません。虫は虫です。同時に、虫たちは自然の中で生きていますから、その裏には壮大なものがあります。開発者がイベントに出てくるのもそれは結構だけど、そういうことをするのなら尚更、子供たちを野山に連れて行って、虫を間近に観察する機会も設け、「自然そのものの方が面白いよ」と伝えて貰いたいとも思います。もしやっているのだとしたら、もっとPRして欲しいです。これは、僕が小さい頃から昆虫を捕まえて図鑑を参照しながら標本を作ったり、昆虫を食べたりしてるという特殊な経験を持っているからかもしれませんけど、虫を知るためのアプローチを開発者がもっとアピールしてくれたって非難されることはないでしょう。僕ならば、「ゲームから現実世界への道を作る画期的試みである」と称賛します。

思い出してみるに、このことは、小さい頃にやった「ドラクエ3」にも言えます(幼稚園から小学生にかけて)。このゲームは地球を上手く反映していました。ついでに、無駄のない万葉集のような趣のひらがな、心に残る旋律を単純な音、抽象的な絵、いたずら心に満ちたダンジョンで世界の見方を表現しており、もはや文学的とさえ言えます(ちなみに、万葉集には「はかないこの世の命が惜しいので、浪にぬれて喪を取っては食べています」なんて歌もありますが、ドラクエにもこんな雰囲気の台詞がありませんでしたっけ?)。幸いなことに、幼いうちにこれに触れ、義務教育で地球儀を見たり、歴史や神話について学ぶことで、自分でリンクを作ることができましたが、同時に、すぎやまこういちさんはファミリーコンサートを企画することで、本物の音への興味を促進し、時には「これはバッハのインスパイア」のようなことも言い、クラシック音楽についても導いてくれました(僕にとって、小さい頃に彼と握手したのは忘れ難い経験)。つまるところ、「虫のゲームも良いけれど、開発者のあなたがまずは子供たちを雑木林に連れて行ってくれ!」ってことなのです。大体、ゲームの中の虫はあくまでそれだけで、開発者が子供向けに誇張しただけのものです。「そんなことを言うのは親の役目」と言われるかもしれませんが、それでも彼らにはそうやって貰いたいと思います(そして、僕なら必ずやります)。

話が飛びましたがここからは「僕がもしゲームを教育に使うなら」。ゲーム機って新しいものが出ると古いものは軒並みゴミ箱へと追いやられてしまいがちです。でも、それは好ましくないと思います。これから先、もし「ドラクエ3」が3Dでリメイクされたとしたら、僕は、FCとSFCとその次世代機を並べた上で、それぞれの「ドラクエ3」をやらせ、地球儀を与えると共に、旅行などにも連れて行きます(可能なら万葉集を与えたりなどなど他のことも)。こうすれば、テクノロジーの進化も一目瞭然に理解できて、ゲームも活きるというものです。僕は、FC版のDQ3が「ゲームの古典」になることを密かに期待しています。これからはリメイクを出すならエミュレーターを実装して、FC版も遊べるようにしておいてくれることを願います。あれは、あそこまで単純で全く無駄がないからこそ良いんです。

最初のCMのことに戻ります。CMとゲームって「極めて短く限定的なこと」が似ています。これらから言いたいのは、抽象的で短いものを放り投げるのなら、それだけに留まらないで、より広い世界への足がかりも伝えるべきだということなんです。映画のCMなら、CMから映画館、場合によっては、作り手や役者などに始まり広い世界への繋がりが担保されていますけど、ゲームの場合には、どうも、そうとは言い難いのです。

やや熱くなってしまいました。格闘ゲームとか格闘ゲーマーに対しては、正直なところ僕は無関心なので突き放して書くことができます。普段の、何かを見るときの自分の心の動きについても、無関心なところからなんとか眺めることができます。しかし、子供の心の動きってのはさっぱりわからないんですよね。僕は幼児を見ていると全く飽きませんが(いとこの子供と戯れたりします)、それは、全く理解できなくて面白いからです。つまり、関心があるということです(同時に、素晴らしく価値があるものだとも思ってます)。その関心があるものが、「ビデオゲームで汚される」という感覚を抱いてしまうんですよね(これはあくまで僕の「主観」で、科学的な話ではありませんよ!だから大々的に押し付ける気は毛頭ありません)。これは、僕自身が抱いている後悔から来るのかもしれませんし、はたまた、幼児に戻りたいという一種の胎内回帰願望の表れかもしれませんが、強い関心があるゆえに、こうして長々と書いてしまうのです。困ったクセです。でも、後から見返して赤面するようなものも一つくらいはいいかな。

バスタブ型の方へ。僕の世界観は、ある人が言うには、「風の谷のナウシカ」に似てるそうです。それだけ。この映画を意識的に見たのって本当に最近のテレビ放送が始めてなんですけど、どうしたことだか。

参考画像:

↑適当に自分の写真を加工しました。僕にとっての心はこんなイメージ。

参考ブログ:
僕も参加したことのある昆虫料理研究会のブログ
http://musikui.exblog.jp/

参考:
PCがあるなら気になったものはグーグルに放り込んでください。

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
僕は昔野球なんてやってたことがありますけど実際にやるのとゲームの野球なんていうとルールだけがそれっぽいだけで結局ボタンを押すだけですよねw

パワプロとか一応球の高低差や変化もあってそれっぽいとは思いますけど。

でも自分で体を動かしてやるのとゲームでやるのなんて比較対象にすらならないですけどねw
ハラキリ
2006/06/23 02:29
>ハラキリさん
僕が思うに、格ゲーなんてのはプレーを遠くから眺めてアレヤコレヤと高まりあうだけの暴れ勢(ファンでもなく迷惑をかけるだけ)と何も変わりません。

格ゲーの中に野球を持ってきて語る人とか見ると、「アホかお前!」って思います。直接は言いませんけど。
エキタイ
2006/06/23 02:40
ムシキングっていうのは名前は聞いた事あるんですが、実際はどんなものなんでしょうか?

私も幼少時、昆虫採集にはまったものです。虫って
凄く魅力が有りました。(今も有ります)しょっちゅう虫取り網と虫かごを持って外へ繰り出しましたよ。虫取りって昆虫との勝負なんですよね。向こうはつかまらないように命がけだから、こっちは非常に頭を使います。やみくもに網を振っても絶対に捕まえることはできません。そして捕まえればそれで
虫を知るとともに、命を知ることにもなります。
他にも書けば納まらないくらい得ることがあり、
人間形成に間違いなく役に立つだろうと考えます。





煙突
2006/06/23 05:29
それをムシキングだなんてバーチャルで扱うのが個人的には許せないのです。あんなんで(とはいっても詳しくは知らない)虫を分かった気になって欲しくないです。また、勝負も絡んでくるようですが、
実際の虫の勝負を見たり、(カマキリが獲物をとらえる所など)させてきた私にとっては全く持ってばかばかしいとしか思えません。
「子供たちよ、虫を捕まえに外へ行って来い!!話はそれからだ」と言いたい。虫を知った気になってる子供たちは既にかなりの数に及んでいるのではないでしょうか?本物の方が絶対楽しいよ。って教えてあげたいです。

「対戦感覚に熱中させる・・・」ってのもちょっと履き違えてますね。小さい子供にはバーチャルなどではなく現実のカンケリや鬼ごっこ、などでそういった感覚を得て欲しいです。所詮ゲームであるから、対戦相手は筐体でしょう?映像だけの勝負など、小さい子供には害があるだけです。もっと得るものは外にいっぱいあります。

ただ、気になるのはそういった勝負を出来る環境が
乏しくなった為、やむを得ずバーチャルでの勝負を推奨しているのではないかということです。
煙突
2006/06/23 05:30
>煙突さん
これは奇遇ですね。僕も同意します。ただ、ゲームもメディアだから使いようだと思うんですよ。現状では、現実との間にあるただの「壁」に過ぎないわけですが、「媒介」たるためには、現実にむしろ積極的に引っ張るくらいのものが必要だと思うのです。

環境は探せば幾らでもあります。日本は自然に恵まれてますので、ちょっと足を伸ばしたらすぐに見つかります。東京にだって例えば稲城には雑木林も畑もあります。だからこそ、東京にあるゲームメーカー達は、そういう場所に子供たちを積極的に連れて行ってもらいたいとも思うんですよ。そこまでやった上で「ムシキング」を売るならば僕は賛成しますし、自分の子供がいたとしたら、喜んでプレイさせます。それがないか、やっててもPRしないのだとしたら僕はそのメーカーが嫌いです。
エキタイ
2006/06/23 05:38
本当にそう思います。ちょっと足を運べば雑木林などあるはずなのに、今の子供たちはそこへは行きません。外に子供たちの姿が見えて、「微笑ましいな」と思ったら、ゲームボーイみたいなのをしていて悲しくなりました。多分虫の事を、外の楽しさを知らないのではないでしょうか?親がそれを教えなくてはならないと私は常々思います。アウトドアでキャンプなどして、そういった環境に連れて行ってやらねばなりません。それを考えると、田舎モノの私はそういった意味では恵まれていたと思います。子供は外でがんがん遊んで、ケガも沢山して、いろんな事を学んで欲しいものです。
煙突
2006/06/23 05:51
>煙突さん
そうですね。親でも特に父親の役割ですね。ただ、父親ってのは忙しいものですから、メーカーには「俺がそこまでやってやる!」くらいの気概を持ってもらいたいということです。作ってる彼らも、父親であるか、潜在的には父親ですからね。

「ゲーマーの地位向上」とか「ゲームを世界的文化に」なんて言う前に、やることがあるだろ!ってことです。
エキタイ
2006/06/23 05:59

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