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<<   作成日時 : 2006/06/25 05:32   >>

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このところ、僕が自信を持って話せることも減ってきました。話せるといえば、言葉全般や日本語については書きましたが、英語については書いてないので、書いておきます。

僕は確かに家庭教師では英語を教えていますし、多分、普通の人よりは英語について知っています。話せと言われたら必要最低限のことは伝えられますし、読むことも書くことも聞くことも、それなりにできます。そのためか、友人知人には「あの人は英語ができる」と言われてしまうことがあります。しかし、僕自身としては「英語は話せない」と強く思っています。辞書を参照したら語彙は増やせますし、表現形式や語の意味もかなり突き詰めてはいます。でも、決定的にダメなのは、僕は英語では思考できないということなのです。これができる人ってのは、12歳前後までに、日英語両方のネイティブに触れ、両方で考えられなければ生きていけないシビアな環境に一定期間以上いた人だけです(帰国子女の一部)。「どうしよっかなぁ」って商品棚の前に立ったときに、“What... what what to buy...”のごとき思考は発生しません。発生させようとしたってダメです。読み書き会話の能力があるだけに過ぎないというわけです。僕は、この状態でもって「英語ができる」とは言いたくありません。そのため、頑として、「俺は英語は話せないよ」と言っています。話しても深い部分を伝えることは無理だという諦めがあるゆえです。できないものはできないんだから仕方ないことです。

こういうと、「じゃあなんでもっと練習しないの?」と言われることがありますが、もう思考するところってのはどうにもならないんですよ。自力で腕をもう一本生やすのと同じくらい無理です。ここで初めて妥協が生まれます。で、僕は「そんなもん、優れた通訳に頼めばいいんだよ」と言うわけです。これが妥協だと思います。とはいえ、読み書き会話は訓練次第でかなり形になりますので、やるべきだとも思います。僕の場合、授業などを通して、英語(それも割と高いレベル)が読み書き会話できないとどうにもならないという経験を何度か積んだので、この能力を多少訓練できましたが、さすがに、最低限はあったほうが世の中便利です。なぜなら、最先端のものは、ほとんど、英語によって表現されるからです。英語が読めないと、理系ならまだしも、文系なんかでは最先端の考え方ってのが分からないことになります。これは大きな痛手であり、自ら自分自身にハンデを課すことと同様だと思います。いつでも通訳や翻訳に頼ってたら時間がかかって仕方ありません。でも、本当に重要で欠かせないときはそれらに頼れば良いと思います。ただ、そのときってのが僕にとってはキャベツの芯(芯のないキャベツってのはありませんよね)なのです。よって、「話せない」と常に言います(繰り返しで失礼)。

ゲームを並べます。ゲームが強くなることの条件を強引に考えて、英語になぞらえてみると、「ゲームがなかったら俺という存在は自分自身を表現することができず、それは生存に関わることだ」と錯覚するような状況が必要ということになります。真相は分かりませんが、「強い人ほど廃人」と言われることの背景には、こういうことがあるのだと考えれば妥当で、納得することができます。

そうですね、それじゃ僕にとって「このゲームができる」とはどういうことか。端的に言えば、「そのゲームの勝ち方が分かっていて、どうすれば良いか確信状態にある」ってなことです。だから、3rdはできないし、ゼロ3は今全く勝てないけどできます。「キャラが使えるか否か」ってのも似たようなことです。もっと細かいレベルでもそうです。現実はさておき、このような考え方をしていました。

書き忘れてましたので、なぜ僕がそれでも英語などの文献を読むのか、また言葉に戻って書きます。これは簡単です。はっきり言ったらラテン語も英語も漢文も日本の古語も本当の意味では分かりません(特に古語の場合は、できるのかどうか確認する術が全く無い)。しかし、「大体こういうことらしい」という文法書や辞書などの助けを借りて、「どういうことなのだろうか?」と考えるのが面白いのです。その中にある「考え方」に近づきたいということです。その点、万葉集や徒然草などの日本の古典は親和性があるから、大人になってからでも、対訳付きのもので、可能な限りフォローした方が良いと思います(兼好の考え方に必死になって迫ろうとしてる訳者の姿勢や考え方もついでに学べて一挙両得)。徒然草、ってのは、中に書いてある事柄なんてのはどうでもいいんですよ。また繰り返しますと、大事なのは、物を見たときの考え方であって、読む側はそれにどこまで迫るかってことです。この点、こういうのは、流石に日本語話者が書いたものですから結構良く分かります。なので、しきりに勧めています。


参考:
強さの先にあるもの
http://liquidmetal.at.webry.info/200605/article_19.html

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
すいません。上の記事とは関係ないのですが、少し
書きたいことがあります。

私はggxxというゲームを少しプレイしていた事がありました。最近ggxxbbsというサイトの存在を知り、興味本位で覗いて見たんですが、驚き、唖然としました。ゲームに支配されているかのような人間の発言が非常に多かったのです。例を挙げると、キャラの強弱の議論などで「自虐」という言葉が飛び交っていましたが、その議論が笑えます。真剣になって自虐じゃないと弁明したり物凄い必死なのです。まるで命かけてるかのような発言すらありました。

こういう人たちは少し心配になります。
煙突
2006/06/23 06:11
>煙突さん
あまり何かを非難したり、改善策を示さずに物事を言うとあらぬ攻撃を受けることがありますから注意しましょう。

とはいえ、気持ちはわかります。わかるゆえに、書く前に一端、「なぜそう思ったのか」、「なぜ自分がここに書こうとしているのか」ということも振り返って考えてみてください。
エキタイ
2006/06/23 06:29

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