続Super Game Page ―悪徳の栄え―

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<<   作成日時 : 2006/07/14 22:10   >>

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僕は「天才」という言葉に滅法弱いんです。それは、僕自身にはいかなる天才性も無いことをよく理解してるからで、それだけに、天才的な仕事を成し遂げている天才達に対しての憧れと尊敬は、かなり強く抱いています。

もっとも、「天才子役」なんて言葉が乱用されることからも分かるように、幾分、この言葉が安売りされているのは気がかりです(もちろん、その中に超一流の人もいるんですが、ちょっと何かできるだけで天才と呼ぶ風潮があるのは事実です)。しかし、こういう憧れを抱きながら今まで生き続けてきたせいか、ある人が本当に一流の天才か否かを見分ける力だけは僕にもあるようで、幸い、キャッチコピーとして用いられる「天才」には騙されないで済んでいます。それにしても、この粗製濫造ゆえに、「天才」と称されることでもって、ある人の価値を貶める結果が生まれるとしたら残念です。

ところで、天才繋がりでこんな本を読みました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上   岩波文庫 青 550-1レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上 岩波文庫 青 550-1
レオナルド ダ・ヴィンチ 杉浦 明平

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レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下    岩波文庫 青 550-2レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下  岩波文庫 青 550-2
レオナルド ダ・ヴィンチ 杉浦 明平

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ダ・ヴィンチコードって作品が流行ってますが、もし彼のことを知りたいのならば、彼の手記を読むのが確実だと思います。こういうのって、あんまり真面目に読もうとすると、天才の思考に付いていけず、頭がおかしくなったり、体調を崩したりするので気をつけてください(実際、発熱して、ベッドに臥せる羽目になりました)。とはいえ、気の向くままに読んでみても、十分に得るものがあります。僕なりにまとめてみると、「自分の感覚と経験に対して、極限まで明晰になり、それを信じよ」といったところでしょうか。僕も、これに対しては完全に納得します。この、感覚と経験に対して明晰になるってのはとても難しいんですけど、あらゆる無意識を消し去るつもりで物事に臨めば良いはずです。こう言ったところで、僕には真似できないんですが、言わんとすることだけは何となく分かります。

読んでいて意外なことを知りました。ダ・ヴィンチというと、絵画や発明を思い起こしがちですけど、この手記を読むと、文学に関しても興味を持っていたことが分かるんです。その文学的な寓話ってのがまた面白いんですよ。まるで、日本の昔話みたいなものを幾つも書いています。一つ引用してみます。

「杉の木はあそのてっぺんに美しい大きな実を結ばせたいと考えたので、全力を傾注して樹液をはこんだ。だがその実が成長するとまっすぐにそそり立った頂をたわめてしまうことになった」(上巻P.94より 實を実と書き換えました)

こんなことばかり幾つも並んでて、余程自然が好きだったんだなと思いました。どうやら、一貫して、身の丈に合わないものを集めても身を滅ぼすだけだと、自然を題材に取りつつ言いたかったようです。こういうことは、ロシュフコーの箴言集にも、ゲーテの格言集にも、徒然草にも同じことが書いてありますので、古今東西に通用することなのかもしれません。

せっかくだから、他にも気になったのを幾つか引用してみます。

・食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない。

・「幸福」が来たら、躊らわず前髪をつかめ、うしろは禿げているからね。

・木は自分の破滅をもって木を伐るものに復讐する。

・危機に瀕した船でおこなわれるより真面目な相談はない。

・肉欲を抑制しないものはけだものの仲間になれ。

・もし快楽をえらぶとしたら、快楽のうしろには面倒と悔恨とをもたらすものがついていることを知っておくがいい。

・科学を知らずに実践に囚われてしまう人はちょうど舵も羅針盤もなしに船に乗り込む水先案内のようなもので、どこへ行くやら絶対に確かでない。つねに実践は正しい理論の上に構築されねばならぬ。しかして透視法こそその道しるべであり入門書であって、これなくしては、絵画の場合何ものも立派に制作せられない。

・おお寝坊ものよ、眠りとは何であるか? 眠りは死に似たものである。おお、それではなぜおまえは、生きながらいやな死人に似た眠りをむさぼるのをやめて、死後に完全な生き姿をのこす作品をこしらえないのか?

最初のことに戻ります。僕は、ある人の評価は、その人が成し遂げたことでもって決定されるべきだと思っています。裏返せば、その成し遂げたものだけで十分だということです。だから、仮に僕より遥かに若かろうと、素晴らしい価値があると信ずるに足るだけのことをやった人は、全て尊敬対象になります。ただし、尊敬というと悪い意味での尊敬もありますけどね。通常、この悪い意味での尊敬対象は世間から大きな非難を集めますが、それでも、面白いものは面白いし、ある種の尊敬を抱いてしまうんだから仕方ありません(澁澤さんの『悪徳の栄え』による最高裁有罪、三島由紀夫の『宴のあと』事件や割腹などその好例です)。

ここで、今まで書いてなかったことを少し。これは、僕が尊敬している学者が言ったことの受け売りでもありますが、仮に理論のごとき抽象的なものであろうと、なぜそれが生み出されたのか、それを生み出した人はいかなる性質を持っていて、いかなる動機ゆえにそれを生み出すに至ったのかを踏まえる必要があると思います。これを踏まえずしては、何も分かりません。実際、極めて優れた理論体系が、一種のエゴイズムの結果として生まれたなんて例は幾らでもあります(要は、こじつけに過ぎなかったのに、それが見抜かれることなく、高い評価だけ集めていたなんてことです)。面倒な作業でも、常にこういうことを心がけるべきでしょう。僕は、一応、心がけているつもりです。

こうしてみると翻訳ってのは案外凄い行為です。このダ・ヴィンチの手記にせよ、『マルドロールの歌』にせよ、書き手の人格を全て引き受けずして、良い翻訳を作ることはできませんからね。逆に、それを引き受けてさえいれば、多少の誤訳があろうとも、全体としては良い訳ができあがります(小林秀雄によれば、「誤訳とは空気中における酸素のようなもの」だとか)。翻訳者に尋ねると、黒子であるべきだとか、とても控えめなことを一様に仰るんですけど、そんなことありませんよ。翻訳作品を読むときは、原作者にも翻訳者にも着目したら、より有益だと思います。タイトルと強引に結び付けますと、天才の作品を適切に翻訳できる人は、同様に天才的であるってことです。輪廻転生がもしあるのだとしたら、一回くらいは一級の天才になってみたいなと思います。ま、取り留めのない話になりましたが、これは抒情詩の一種だから気にしません。


参考:
似た人
http://liquidmetal.at.webry.info/200606/article_21.html

僕の感覚
http://liquidmetal.at.webry.info/200606/article_48.html

ゲーテ格言集
http://liquidmetal.at.webry.info/200607/article_18.html

杉浦明平(Wikipediaより。この手記の訳者です。なぜ共産党に入ったんでしょう?)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%B5%A6%E6%98%8E%E5%B9%B3

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