続Super Game Page ―悪徳の栄え―

アクセスカウンタ

zoom RSS 僕の脳に言わせるならば……

<<   作成日時 : 2006/08/03 18:07   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 3

頭に思い浮かんだことが色々と溜まってきたので、ここらで排泄します。それにしても、こんなに汚い僕の便所を覗きに来る人がよくもまあいるもんですよ。考えてみると面白いね。人間って、みんな、コプロラグニアなんでしょうか?

最初は、前に書いた「小説の意義」に関連して、処女作の意義(これも変な言い方だと思います)について考えてみます。ま、端的に言うと、処女作とは、最も生々しい形での作家の問題意識でしょうね。僕はこのように考えます。なぜなら、自分がこうだからです。恐らく、長編小説は偽装の極みです。核にある問題意識が鋭利であればあるほど、それを隠さなければなりません。その隠そう隠そうという意識の中で、種々の作品が生成されるのだと思います。小説のごとき無害の極みと思える薄っぺらな紙の裏にさえ、このような暴力が潜んでいるのだとしたら、最高の芸術の裏には、どれほど強烈な暴力が潜んでいるんでしょう。もしくは、最高の暴力の裏に、最高の芸術が立ち現れるのやら。それにしても、武器ってのは、人前に晒すと皆を驚かせてしまうから隠されなければならないんです。「その隠し方を人間はずっと発達させてきたんじゃないか?」と、僕は、心の底から思います。ほら、「秘すれば華」って日本語でも言うでしょう。

次は日本語に対しての俗説について。よく、「日本語はあいまいな言語だ」とか言いますよね。あれは絶対におかしい。僕からしたら、こんなことを言う奴自体があいまいでバカです。ここは断言して絶対に構わない。高名な金田一さんも、谷崎も、三島も言ったように、言語は、文体的能力を行使すれば、必ず明晰な形にすることができます。というより、明晰ならしめんとして言語を扱わなければならない。それをやらずに、物知り顔でこんなバカなことを言う奴は、完全に日本語に振り回されて負けてます。敗残者だな。日常会話で「えーっと」を連呼するならまだしも、書き言葉においてさえもあいまいな表現をする奴は大問題です。これが行くところまで行って、「あいまいな表現が好きなので、あいまいに表現しました!」なんていう奴は、もはや、消えてしまった方が爽快です。英語教育の過程において、せっかく、“ambiguous”と“vague”という、「あいまいさ」を二つに分割するための考え方を授けられたはずなのに、それを捨て去ってるなんて想像の埒外です。もし、教育を受けた人間が、「日本語はあいまい」なんてシャアシャアと本気で言いやがったら、そんなのは大バカの究極ですよ。とはいえ、暗記作業を中心とする受験勉強やら何やらなんてのは、「クラスのみんなの電話番号を試験します」とか「当大学の教授名とその経歴を全て覚えて書きなさい」と全く変わらないですからね。こんなことをバカ正直に繰り返したら、さぞや立派なバカが出来上がるんでしょう。こういうところが世の中は本当に可笑しいですね。世の中から見たら僕が可笑しいのかもしれないけど、ここで、試みに、かの電通鬼十則を僕流に言い換えてみますから、心当たりがある方は「暗記」して御覧なさい(もっとも、僕もその必要がありますけどね)。

・言語の意味は自ら創るべきで、与えられるべきではない。

・表現とは、先手先手と働きか掛けていくことで、受け身でやるものではない。

・大きな概念と取組め!小さな概念は己を小さくする。

・難しい概念を狙え!そして表現せんとするところに進歩がある。

・言葉から逃げるな!殺されても逃げるな! 自分を表現し尽すまでは……

・言葉を引きずり回せ!引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる。

・文体を持て!強い文体を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい理解と意味が生まれる。

・自信を持て!自信が無いから君の言葉には、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。

・頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ!表現行為とはそのようなものだ。

・摩擦を怖れるな!摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。

さて、今度は、可笑しいに関連して「笑い」について。つまり、「笑い」ってのは理解の拒絶なんですよ。その表明だと思います。無害な方に立ち現れれば「笑い」だし、自分にとって有害な方に立ち現れれば「恐怖」です。或る意味、これらを統合するのが「涙」なんだと思います。いずれも、最高潮に達したときには、涙や尿などの体液がほとばしります。これほど判り易いサインも無いでしょう。時に、僕の行動の数々が笑われる(笑ってもらえる)と共に、恐れられる(付いていけないと思われる)ことの裏には、こういう心理的メカニズムが潜んでいるのかもしれません。こう考えてみると、お笑い芸人は最高に頭が良く、常人の理解を超越し続けなければなりません。逆に、お笑いをせずに直接物を言いやがり、それをしかも美徳と思ってやがる爆笑問題なんぞは、もはやお笑いに負けたってことですね。僕はこのように見做します。ファンの方には悪いけどさ。「んなことやるなら芸人じゃなくて他の肩書きを手に入れておけッ!」ってな心境です。

そうですね、関連して「拒絶」について。この「拒絶」ってのは何においても一番厄介ですね。例えば、「やっぱりぃ……」で何でも発言を始めるバカ。こんなのは最低ですよ。大体、英語で何て習いました?「やっぱり」って、かの言語では“needless to say”と表現しますよね。日本語なら、「言うまでもなく……」ってこと。流れがあって、この「やっぱり」を入れるならまだしも、何にでも「やっぱり」を付けるバカの多いこと多いこと。言うまでも無いことだったら黙ってろよって思います。同様に、「微妙に」やら「普通に」なんてのも要らない。微妙なことや普通なことなら、そうじゃなくなるまで考えてから言うべきです。それか、自分自身が誰から見ても異常であると確信してからですね。だとしたら強い説得力と意味がありますよ。そうだね、こんな言い草をしつつも、僕は優しいから、好意的に解釈して、「普通に」なんぞは「僕の考えてることって普通だよね?」って気持ちの表れってことにしてあげます。「そんなことを確認しあう行為は、会話じゃなくて、対面発声とか“commutterance”って言うのが適切だ」と心の中でブッ放しながらね。

こうくると、嫌いな表現に思いを馳せることになります。実は、嫌いな表現について書いてくれというリクエストを一友人から貰っているのです。僕がどんな表現を嫌っているか分かるように、代表例を幾つか並べてみます。

・まず第一に
・まだ未定
・一見すると〜に見える
・後から後悔する
・自ら自粛する
・未だ未解決な
・詳しい詳細

「こんなのありえないだろ?」と思われるかもしれませんけど、案外ネットを見てるとあるんです。それどころか、意外なことに、優秀なる人々が作る活字媒体の中にさえも、うんざりする程あります(気になったら、印を付けた上で採取してます)。こういう表現は、言葉に完敗してるか、相手を舐めてるかの二択です(三島さんは後者の文脈で何度か使っていました)。どれも、「頭痛が痛い」と一緒ですよ。頭痛の場合なら、普段から「頭痛が嬉しい」くらいの表現をしてる人じゃなきゃ意味を成しません。僕は、一応、こういう表現だけはしないように最大限の注意を払っています。つまり、嫌いな言葉は、汚い言葉ってことになりますね。なぜなら、このような言葉は、言葉と精神に対しての不潔な態度から生ずるものだから。そういえば、一政治家が「言葉は政治家の武器」とかほざいてましたが、そんなことを言うのに限って、こういう汚い言葉ばっかり使うんですよ。聞いてる国民を舐め腐ってるんだろうな。

しりとりみたいになってきました。「汚い」から連想して「詭弁」について。詭弁は、要するに、ルールを意識して破る、それも、相手が気付かないだろうと思って破ることであり、しかも、文学表現などと違って、その破ってることを破ってるんだと自覚せずに破ることでしょう。言わば、観念の確信犯行為です。ルールが無い世界だから仕方ないんですけどね。ちょっと思い出した範囲だと、どこぞの医者が、「患者は死んでしまったけれど、その手術行為自体は成功だった」なんて言ってたのは「好例」です。同種のものを僕の周囲から探してみると(大学院生のレポート)、「人類を人間とホモサピエンスに分類する」なんてのもありますね。こんなこと、分離分割できません。前者なら、患者が生きのびてこそ手術成功です。後者は、うーん、分けたつもりでも何がどう違うのか分かりません。似たところだと確率もです。僕は確率的な考え方を応用するのが適切な領域があることは認めますけど、一個の人間の生活や行為と確率は、全くそぐわないものだと思います。大体、「30%の確率で雨」とか「宝くじの当選確率は100万分の1」とかって変ですよ。当人からしたら、「雨が降るか否か」、「当たるか否か」だけです。気分的には、2者択一、五分五分だけです。マーケティングとか集団という抽象物を考えるならまだしも、個人と個人の関わりにおいて確率がどうとか持ち出す奴は、確率って言葉に負けてますね。間違いなく。こうしてみると、「テニスの王子様」のデータテニスってのは本当によく出来たギャグです。作者には定めし凄いセンスがあるんでしょうね。凄いとしか表現し得ないセンスがね。これは、三島さんが言ったように、サイエンスの排泄物なのかもしれと思えてきます。蓋し、サイエンスの日本への輸入紹介者たる福澤諭吉が、こんな不衛生な臭気を嗅いだら呆れるばかりでしょう。その癖、一万円札は大事に大事に信奉してるんだから、前にも書いたように、ここは悪徳に溢れた桃源郷です。愉快愉快。

偉そうなことを並べながらも、どんどん汚い話になってきました。でも、汚い繋がりで、「汚いニュース」ってのもよくあるんですよ。ボクシングの亀田選手の判定もそうですね。阿川さんとのインタビューなどから推測するに、あの亀田選手って、きっと、優しくて素直な子なんです。「好きなコは?」と聞かれて、「いるよ」とテレながら答えてみたりする感性を持っています。それだけの感性があるなら、絶対に、対戦相手との圧倒的な差が分かったはずです。そして、恐らく、自分が愛してきた「ボクシング」という単語の清らかなイメージにクソを塗ってしまったことを、恥じて恥じて塞ぎ込んでいるに決まってます。本物のバカだったら届かないかもしれないけど、具志堅さんなどのように「ボクシング」を奇麗に磨き続けてきた人の言葉は絶対に伝わってます。それゆえに、汚すように仕向けた周囲の環境というのは、非難されなければなりません。以下のようなことを堂々と掲げてるんだから尚更です。万が一、亀田選手自身に全く伝わってなくて理解もできてないなら、両者共に罰を受けるべきです(くどいようですが、個人的には、亀田選手は違うと思います)。

TBSグループ行動憲章
http://www.tbs.co.jp/company/koudou_top.html

ヒートアップしすぎたから締めて終わります。このTBSの「アサ秘ジャーナル」で、ある漁師さんが、「東京湾は銀行で、自分達はその利子たる海産物を頂いている」と言ってましたが、なまじこういう素晴らしい発言が深夜の番組から聞こえてくるだけに、表の部分の汚さが不愉快で仕方ないです。僕は、ブログだからこそ、「自分の脳みそは胃腸と等しく、この記事は糞尿のごとき排泄物」なんてことをトップで掲げたわけですが、放送ってのは違いますよ。他人様から預かってるものなんだから。だからこそ、大事に大事に守って利子を安全に増やして、お互いがより良くなるようにしなきゃいけないと思います。ハイ、終わり。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
和食について話したこと
法事の関係で、初めて会った親戚と色々な話をしました。デパートの食品部門を長く担当していたらしく、僕にとって新鮮かつ刺激的なことを教えてもらえました。その中で、ちょこっと話したことをまとめてみます。 ...続きを見る
続Super Game Page ―悪徳...
2006/08/12 22:55

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
僕は昔は嫌いだった爆笑問題のラジオを聴くようになってから、彼らがどんどん好きになってます。ゴールデンやプライムタイムに政治を語る番組でしか目にされない人にとっては気に入らない状況かもしれませんが、様々な彼らの活動を追っていると、振り幅の広さに驚きます。現在もCSでコント番組やったり、定期的な漫才ライブも欠かさない、そしてラジオも毎週2時間たっぷり笑わせてもらってるので、「お笑いせずに」というのは「なんだかなぁ」と思います。
ふーん
2006/08/03 19:23
>ふーんさん
はじめまして。ゴールデンの看板番組というのは、まさに、その人を最も良く表しうるものでしょう。ここでも何度か触れたように(触れてないかもしれませんが)、僕は、「検索ちゃん」や「爆笑問題のススメ」などは大変敬愛していたんですけれど、「東大の教養」などにシャシャり出てみたり、あのような政治を語る番組を前面に出し始めてからは嫌っています。要は、バランスの問題ですよ。お笑いを後ろに引っ込めたその逃避的態度が嫌いだということです。

具体的な発言例を出せば、「東大の教養」での「俺は言いたいことがあるからそのまま言うんだ」のごときものです。こういうことは、思っていても言ってしまったら終わりなんですよ。そこが、超一流の、ダウンタウン、さんま、紳助との違いです。超一流を目指さないなら、さっさと「お笑い」の看板は引っ込めた方がよかろうってことです。お分かり頂けたでしょうか?

ちなみに、彼らがまだあまり売れておらず、デパートなどでコントをやっていた頃から僕はそこそこ追いかけておりますので、ふーんさんが仰ることは重々承知してます。ですから、お気持ちはよく分かります。
エキタイ
2006/08/03 19:40
>ふーんさん
字数の都合上二つに分けました。

政治を語るのも結構なんですよ、別に自由と言えば自由です。しかし、彼はあまりにもこの点に関して知識が無さすぎます。知識を隠しているのではなく、空っぽです。じゃあそれが一般大衆を代表しているかというと、明らかにその大衆とやらを舐めた態度であり、実態も異なります。こんなことは、「お笑い」の看板に負けてます。なぜなら、理解されることを目的としてるから、というわけです。僕の基準からすると、こんな目的を前面に掲げながら「お笑い」を自称する行為は嫌いです。「俺は芸人だから」なんてのは、何のエクスキューズにもならないと思います。
エキタイ
2006/08/03 19:52

コメントする help

ニックネーム
本 文
僕の脳に言わせるならば…… 続Super Game Page ―悪徳の栄え―/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる