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<<   作成日時 : 2006/09/28 04:44   >>

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ある現象を分離独立したものと捉えるか、連続したものとして捉えるかでは、かなり事情が異なってきます。例えば、言葉などは最たるもので、古典語と現代語のように厳然と区別するのか、両者を連続したものとして見做すのかということがしばしば問題になります。

僕は言語研究をする者のの端くれとして、当然、全てを連続性のうちに捉えることを支持します。大体、学校教育で習う古典から現代文へのような転換が急に起きるわけないんですよ。祖父母と会話が通じるように(語彙の問題はあるにせよ)、祖父母もまた更にその祖父母と通じ合っていたと考えるのが自然です。僕は、もしタイムスリップのような現象が起きて江戸時代とかそれ以前に行くことがあったとしても、多分、現代人は普通に会話できるのではないかと思います。

なぜこんなことを考えるに至ったかというと、こういう本を読んだからです。

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これは、勝海舟の父親が残した箴言のようなものです。書き言葉をほとんど習わなかったことが幸いしてか、1800年代初頭の話し言葉がほぼそのまま保存されています。また、僕が持っているバージョンの表紙には、とても読めたものではないような汚い字で「みんなつまらぬやつばかり」という彼の直筆が印刷されていますが、特別な書道のトレーニングを受けない限り誰しも汚い字しか書けなかったという当たり前のことも、ここから分かります(字から年代を特定することなどおよそ不可能に思えるほど普遍的な汚さを備えています)。

中身は、いわゆるDQN行為(ドキュン行為)の極みとも取れることが、これでもかと羅列されていて、立川談志のおしゃべりでも聞いているかのような調子です。旗本でありながら金を横領したり無断で出歩いたりなんだりを繰り返して制裁を受けている様さえもが活き活きと描かれています。岩に睾丸を打ち付けたことや、ババアが醤油に水を入れる嫌がらせをしてきたことなどの、これまた普遍的かつ一般的なエピソードもたんまり書かれています。ここに出てくるババアは今から250年以上前に生まれていますから、更にその前からこの嫌がらせが存在していたことになります。このように個人的で一切の商業性も持たないものの中に、これほどの普遍性が存在しているのは全く愉快です。

こういうものから人間を考えてみると

「おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまりあるまいとおもう。ゆえに孫やひこのために、はなしてきかせるが、よくよく不法もの、馬鹿者のいましめにするがいいぜ」

と始まって、乱暴狼藉の限り、定職を持たずに堕落し続けた生活を振り返り

「おれは一生のうちに無法の馬鹿なことをして年月を送ったけれども、いまだ天道の罪もあたらぬと見えて、何事なく四十二年こうしているが、身内にきず壱ツも受けたことがない。そのほかの者はあるいはぶちころされまたは行くえがしらず、いろいろの身になった者が数しれぬが、おれは幸運だと見えて、わがままのしたいほどして、小高の者はおれのように金を遣ったものもなし。いつもりきんで配下を多くつかった。衣類はたいがいの人のきぬ唐物そのほかけっこうの物をきて、甘いものは食い次第にして、一生女郎は好きに買って、十分のことをしてきたが、このごろになって、ようよう人間らしくなって、昔のことをおもうと身の毛が立つようだ」

と反省し、一つの教訓として具体化せしめて終わるのが、人間の最も人間らしい姿なのかもしれません。といっても、この小吉さんという方、剣術だけでなく、弁舌にもかなり長けていたと見え、危ない場面をことごとくハッタリをかまして切り抜ける狡猾なリスク管理を随所で見せていたりします。しかも、勝海舟が犬に睾丸を食いちぎられたときは70日間ぶっ続けで祈り続けて、「病人はかんびょうがかんじんだよ」と言う優しさを備えてもいます。最近のアニメで喩えるなら、涼宮ハルヒを男にしたような感じでしょうか。「したいことをして死ぬ」とかも、どこか似ているかもしれません。もしかすると、萌えアニメやライトノベルの類とかって、こういうものから取材して再構成してるのかもしれません。だとしたら、侮れないものがあります。

統括します。言語を始めとして、人間と人間にまつわるあらゆる物事は、昔から連続的に繰り返されてきており、同じことを違う方法で色々な人が行ったとか、同じ種類の人間が違った振る舞いを見せたとか、そんな程度のことなのだと思います。勝海舟のこの発言に僕も賛成します。

「ぜんたい大きな人物というものは、そんなに早く現れるものではないよ。通例は百年の後だ。いまいっそう大きな人物になると、二百年か三百年の後だ。それも現れるといったところで、今のように自叙伝の力や、なにかによって現れるのではない。ニ、三百年もたつと、ちょうどそのくらい大きい人物が再び出るのだ。そいつが後先のことを考えてみているうちに、二、三百年も前に、ちょうど自分の意見と同じ意見をもっていた人を見出すものだ。そこでそいつが驚いて、『なるほどえらい人間がいたな。ニ、三百年も前に、今、自分が抱いている意見と、同じ意見を抱いていたな、これは感心な人物だ』と、騒ぎだすようになって、それで世に知られてくるのだ。知己を千載の下に待つというのは、このことさ」(『氷川清話』 より)

最後に補足。これを読むと、かの時代には今以上に暴力と狂気が溢れていたことがよくわかります。違うのは、人同士の情けの掛け合いみたいなものもまた溢れていたことですね。乞食同然の身なりの人を家に招き入れて食事の世話をしてあげることなんてもう起こり得ません。社会全体のエネルギーが低下したのでしょうか。


参考:
DQN(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/DQN

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