続Super Game Page ―悪徳の栄え―

アクセスカウンタ

zoom RSS 読書と数字

<<   作成日時 : 2006/10/05 05:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

専門書や論文の類を除いて、人は一生の内にどれだけ本を読むのでしょうか。

本を読むと言っても、どの程度で「読んだ」と認定されるのかは分かりません。あるキャスターが「俺は一日に三冊ずつ読む」と言う際にも、確かにそれは読んでいることになるのだと思いますが、本はそれぞれ全く別のものです。こういう観念的なものに関して「1+1=2」のような式が成り立たないのは当然です。どう考えても、「冊」や「頁」と同一のカテゴリーで観念を纏め上げることには無理があります。そして、読むことに関しても、見るに近いことから、飢えた人が食器まで嘗め回すように関わることまで様々です。結局、何を何冊読むかなんてのはどうでもいいことで、それをどんな形で行動に反映させるかによるのでしょう。読むだけ読み続けて、そのまま部屋で死んだりしたらアホもいいところです(見る側からしたら面白いにせよ、自分がその当人になったら恥ずかしい)。

これを書いてて思いました。数字の価値観ってのは結構危ういものです。気軽に「彼は、太郎と次郎を足して2で割ったような感じかな」と言ったりしますけど、こんなものは冷静に考えたら意味不明です。これを変形して、「試しに太郎と次郎を足して2で割ってみたら彼が理解できたんだ」と言ってみたら、その異常性が少し明らかになります。更に続けて、「その2という法数は花子を微分した結果得られたものなんだ」なんて言い出したら、気が狂ったと思われること請け合いです。例えば、「気になる女の子に『私の位置づけは?』って聞かれたんだけど、その時は押し黙ってしまった」と言われた際に、「せめて(5,2)とか返しとけ」とボケてみても寒い思いしかしないように(誰かが突っ込んでくれたらまた変わったのかな?)、ともあれ、日常に数字を持ち込むと、その瞬間だけは奇麗に通ったように見えても、一皮剥くだけで爛れてしまうのだと思います。数字に対しては、小学校の頃に塩酸や硫酸を恐る恐る扱ったようなあの態度を保ち続ける方が良いのかもしれません。

何が言いたいかって、数字を前面に出して語るものには注意した方が良いということです。ありがちなものだと、「大学生のうちに読んでおきたい○冊の本」、「一日に○冊を読破する方法」、「○冊も読んだ達人の語る知恵」あたりでしょうか。こういうのは常に一対一の個人的な関わりですから、変な単位でもって均質化するのも愚かな話です。

ちなみに、敢えて言います。僕は、文庫本を中心に、この6年間で500冊強くらいは読んできました。これは多い方ではないかと思います。どうでしょう。「だから何さ」って思いませんか?こんな物言いに対しては。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
私は30年間で250冊くらい読んだ。
YOSHI
2006/10/05 12:08
>YOSHIさん
コメントありがとうございます。
エキタイ
2006/10/05 20:36

コメントする help

ニックネーム
本 文
読書と数字 続Super Game Page ―悪徳の栄え―/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる