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zoom RSS 自殺する人

<<   作成日時 : 2006/10/14 07:54   >>

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このところ、自殺に関連するニュースが続きました。

「神々の沈黙」などの作家吉村昭さん死去
http://book.asahi.com/news/TKY200608010514.html

自殺した25歳青年の手記が「三田文学」に掲載
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2543382/detail

中2男子が自宅で首つり、遺書残し 福岡
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20061014k0000m040156000c.html

僕は自殺する気持ちが分からなくもありません。要するところ、自分の人生の終わりを自分の意思で決定付けたいという気持ちでしょうから、極めて自然です。非難されるとすれば、遺される人たちに対して手間を掛けることくらいではないかと思います。特に、吉村昭さんの場合には、皆が見てる前でカテーテルを引き千切ってしまったそうですから、腹部の動脈を掻き切る切腹を連想させます。首吊りの場合には、比較的苦しまないそうですので、どちらかと言えば逃避的でしょうか。ともあれ、自分の物語には自分でピリオドを打ちたいと思うものです。僕も、恐らく、自分の人生があまりにも納得できない筋書きになり、修正不可能だと観念した暁には自殺を選ぶつもりです。それでも、三島由紀夫のように作品性を保証するために自殺するようなことはまず出来ないでしょうけど。

こういうニュースを見るたびに思うのは、こうして遺書らしきものが公開されてしまうということです。多分、僕が今自殺したとしても、このブログは遺書として扱われて、それなりに注目を集めることでしょう。こんなことを考え出すと、何もかも全て遺書にするつもりで書かないといけないような気がしてきます(今書いてる小説なんて遺書のつもりで受け取られたら、とんでもない誤解を招くこと請け合いだから困ります)。中学2年生の彼には申し訳ありませんが、この遺書で僕は死ねません。

■生徒の遺書の主な内容■

 「遺言 お金はすべて学校に寄付します。うざい奴等はとりつきます。さよなら」

 「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」

 「seeyouagein? 人生のフィナーレがきました さようなら さようなら さよ〜なら〜」

 「生まれかわったら ディープインパクトの子供で最強になりたいと思います」

 「お母さん お父さん こんなだめ息子でごめん 今までありがとう。いじめられてもういきていけない」
(毎日新聞のサイトより引用)

もっとも、25歳の彼の遺書でもキツいものがあります。「言葉を無くした私は、確かに生きるために生きたのであるが、言葉を戻した私は、死を欲する」って言葉遊びに見えてしまいます(純粋に一つの文章として評価するならば)。傍若無人に他人様の遺書を並べて何が言いたいかというと、要するに、形式的な遺言書ではない遺書には、書き手の個性が最大限に反映されるということです。誰しもが自分自身に合った遺書を書かなくてはなりません。すると、必然的に文学性が生まれます。「遺書文学」なんてジャンル分けがあるのも当然です。普通の人が文学に足を踏み込む唯一の時が、恐らく遺書を執筆するときでしょうから、これは小説などよりも裾野が広いかもしれませんね。


参考:
野猿解散で自殺?
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/jisatu/2001/yaen.html

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