続Super Game Page ―悪徳の栄え―

アクセスカウンタ

zoom RSS 愚痴

<<   作成日時 : 2006/12/18 23:36   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

ちょっとばかし愚痴です。こういうところに書いてる人間の本性が現れるのでしょうか。

研究業績があるわけではありませんが、そこそこ言語研究をやってきて分かったことがあります。それは、言語(言葉)については驚くほど分かっていることが少ないということです。ほとんど何も分かってないと言ってもよいくらいです。今ある言語学というのは、分かりやすそうなところを取り出してきて、それをどのように見るかという「見方」の集積です。つまり、もっと原初的で根源的な、「人間がなぜ言葉を扱えるようになっていくのか」という最大の問題は、ある意味で避けられているということです。で、そこを直視してボトムアップにやっていこうとすると、一般的と言える事象は見出せず、何もかもがバラバラ(“piecemeal fasion”)としか言えなくなるのです。もっとも、僕のような従事者の端くれからすると、「なるほど、バラバラだということが分かったのか!それは凄い!」ってとこだったりするのもまた事実なんですけどね。

これは習得や発達といった観点から離れて、個々の表現を見たときにも言えます。例えば、特定の「○○構文」(“construction”と元の用語で言った方が分かりやすいかもしれません。構文という訳語は分かりづらいのが問題です)を研究するとしましょう。大体、伝統的な文法研究を見ればその解説が最もらしく書かれています。ですけど、微細にその使用例を集めて分析していくと、これまたバラバラで滅茶苦茶で、なんでそんな表現が普通に使われてるのか分からないといった事態に直面します。かの有名な「一人の死は悲劇だが百万の死は統計でしかない」を思い出してしまいます。全体(コーパスを用いた統計も含めて)は比較的容易く扱えても、一つの文を突き詰めて考えてみると悲劇的なほど何も分からないからです。これには僕の能力的な限界も少なからずあるにせよ、やっぱり自然言語(人間が話す言葉のことを自然言語と言います)はよく分からないのです。

と、ここまでくると、「それじゃ分からないところはひとまず置いて、分かるところを……」と言いたくなりますが、これをやると振り出しに戻るというわけです(そういう問題意識で現代の言語学が進んできて、今ここでまた発達とか習得の扱いの困難性に直面してます)。見方の見方に意味が無いとは言いませんが、やるならば根源を追求するべきなのは言うまでもないことでしょう。しかし、それをやるにはあらゆるリソースが足りないのです。全く難しいもんです。

まとめますと、言語(自然言語)についてしたり顔で偉そうに語ったり、「こんなに多くのことが分かったんだ」と自慢するような奴を見つけたら要注意ということです。コアな部分はホントにほとんど分かってませんから。分かったって言ってる場合は、あろうことか「異常な文」を自ら机上で創作して、それのみを元にしていたりします。怪しいと思ったら、「ソースは?」「根拠は?」「データはどのようにして?」と突っ込みましょう。信用できるのは、「ここから先は分からない」、「これはあくまでも推測だが私はこう思う」と分からないことを誠実に示してる人です。なんせ、分からないものは分からないんですからね。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
愚痴 続Super Game Page ―悪徳の栄え―/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる