ゲーマー的性質
僕は確かに格ゲーを止めました。その理由はここの記事を読んでもらえれば想像が付くと思います。試しに食べ物に喩えてみると、僕にとっての格ゲーは強いフレーバーの付いたガムのようなものです。噛めば噛むほど味が無くなってつまらなくなるのに、どうも噛み続けてしまう(突然美味しくなるわけでもない)、それでいて一度吐き出すともうそれを口に入れようとは絶対に思わなくなる、しかも口に含んだままだと他の物が味わえない、そんなものです。
しかし、広い意味でのゲーマー的性質、言い換えるならば、快感を求める倒錯的性質があることは否定できません。決して大きなものではないですけど、スリルを求める傾向があるのは間違いありません。思い返してみるとこういうのは自分の行動の至る所にあって、最少の出席日数で卒業しようとか、成績はCで揃えようとか(Aを集めるよりある意味では難しいんです)、保険を一切掛けずに行動しようとか(無謀なことはしないですけどね)、常にやっています。自分にできる範囲で最もスリリングなことを選ぼう、物語として愉快だと思える方向に進もうといったところです。
ところで、ガムと言えば、昔、粒状の欠片が大量に入っているものを食べたことはありませんか?ブドウ味とかのアレです。ちょっとこれだけ頭の隅に入れておいてください。
一端、ここで格ゲーの話に移動します。一つ前の記事を書いてから、「格闘ゲーマーは格闘ゲームに終わりがあるなんて思ってないんだよ」と友人に言われました。僕は、ゲームごとに明確な終わりを設定して、「この大会までで終わり」と決めながらやっていたのですけど、どうもこういう遊び方は必ずしもメジャーじゃないようなんですね。いわゆる野試合派は違っていて、一つのゲームが終わらずに続くものであって、それを永久に楽しむもうとする傾向があるんだそうです。それゆえなのか、人が減ってきたら集めようとするようです。スタイルを粗く分けてみたら、僕みたいなのは「止める側」、後者は「集める側」とでもなるんでしょうかね。
で、ガムで喩えてみると、僕は色々な味のガムを食べては吐き捨て、吐き捨て、「もうガムには飽きたから結構」といった感じですね。対して、僕が思う野試合派は、味が薄くなってきたら少しずつ少しずつあの小さな欠片を口の中に入れていく感じでしょうか(その際、口の中にガムが納まりきらなくなることは想定しないらしい)。僕が格ゲーの新規参入に否定的なことの裏には、こういう性格的要因もあるのかもしれません。「どうせ真っ当なレベルになるまで1年はかかるんだから(長ければ3年とか)、初心者なんか来なくていい。その間にこのゲームが終わる」って思ってましたからね。
また僕自身の話に戻ります。子供の頃は飴でもガムでもジュースでもこの世にこれほど美味しいものがあるのだろうかと思ってしまいますが、色々触れていくとそうでもないことに気付きます。ガムよりもっと美味しい(快楽を生じる)物も当然いっぱいあります。でも困ったことに、味覚も訓練が大事で、子供の頃から複雑な味に触れていないとなかなか発達しないんだそうですね。僕は幸い親が料理好きなこともあって、人並みの味覚は持っていると思うんですが、これもあるところを過ぎると身に付けられないといいます。それは、味覚からの快感を十分に得られないということでもあって、憂慮すべきことです。格ゲーも似たところがあって、その刺激しか知らないでいると、世の中にあるもっと大きな刺激に対して無反応になってしまうような気がします。より広い意味でのゲーマーであろうとするならば、格ゲーに留まるのは得策ではありません。
最後にちょっと付け加えます。ラーメンって今ブームですけど、僕はどうも好きではないんです。脂と塩、旨味調味料、きつい匂い(臭気)、満腹感によって生じる刺激以上のものが見出せないためです(有名店ってのは結構食べたことがあります)。格闘ゲーマーによる格闘ゲーム信仰は、ラーメンマニアによるラーメン信仰と似てるようにも思えます。多分、本当に良いものだとしたら、前者は勝負事に精通した人が勧めるでしょうし、後者は食通が勧めることでしょう(どっちも快楽に関わるものである点は共通してます)。ただ、快楽主義の諸先輩を見たとき、格闘ゲームもラーメンも多分あまり評価されないんじゃないでしょうかね。こればっかりは人それぞれだから仕方ないか。
補足1:
こういうことを書いてますが、ガムは結構食べます。でも味覚的刺激を求めるわけではなくて、機能を求めるためです。最近の好みはキシリッシュの黒い奴です。
補足2:
ラーメンについてコメントを頂きました。ラーメンはラーメンでもシナそばって分類されるのは結構好きです。でも、家系とか二郎系ってのはちょっと合わないですね。僕はあれならお吸い物の方がいいと思います。ま、好みの問題だから気になさらないで下さい。
しかし、広い意味でのゲーマー的性質、言い換えるならば、快感を求める倒錯的性質があることは否定できません。決して大きなものではないですけど、スリルを求める傾向があるのは間違いありません。思い返してみるとこういうのは自分の行動の至る所にあって、最少の出席日数で卒業しようとか、成績はCで揃えようとか(Aを集めるよりある意味では難しいんです)、保険を一切掛けずに行動しようとか(無謀なことはしないですけどね)、常にやっています。自分にできる範囲で最もスリリングなことを選ぼう、物語として愉快だと思える方向に進もうといったところです。
ところで、ガムと言えば、昔、粒状の欠片が大量に入っているものを食べたことはありませんか?ブドウ味とかのアレです。ちょっとこれだけ頭の隅に入れておいてください。
一端、ここで格ゲーの話に移動します。一つ前の記事を書いてから、「格闘ゲーマーは格闘ゲームに終わりがあるなんて思ってないんだよ」と友人に言われました。僕は、ゲームごとに明確な終わりを設定して、「この大会までで終わり」と決めながらやっていたのですけど、どうもこういう遊び方は必ずしもメジャーじゃないようなんですね。いわゆる野試合派は違っていて、一つのゲームが終わらずに続くものであって、それを永久に楽しむもうとする傾向があるんだそうです。それゆえなのか、人が減ってきたら集めようとするようです。スタイルを粗く分けてみたら、僕みたいなのは「止める側」、後者は「集める側」とでもなるんでしょうかね。
で、ガムで喩えてみると、僕は色々な味のガムを食べては吐き捨て、吐き捨て、「もうガムには飽きたから結構」といった感じですね。対して、僕が思う野試合派は、味が薄くなってきたら少しずつ少しずつあの小さな欠片を口の中に入れていく感じでしょうか(その際、口の中にガムが納まりきらなくなることは想定しないらしい)。僕が格ゲーの新規参入に否定的なことの裏には、こういう性格的要因もあるのかもしれません。「どうせ真っ当なレベルになるまで1年はかかるんだから(長ければ3年とか)、初心者なんか来なくていい。その間にこのゲームが終わる」って思ってましたからね。
また僕自身の話に戻ります。子供の頃は飴でもガムでもジュースでもこの世にこれほど美味しいものがあるのだろうかと思ってしまいますが、色々触れていくとそうでもないことに気付きます。ガムよりもっと美味しい(快楽を生じる)物も当然いっぱいあります。でも困ったことに、味覚も訓練が大事で、子供の頃から複雑な味に触れていないとなかなか発達しないんだそうですね。僕は幸い親が料理好きなこともあって、人並みの味覚は持っていると思うんですが、これもあるところを過ぎると身に付けられないといいます。それは、味覚からの快感を十分に得られないということでもあって、憂慮すべきことです。格ゲーも似たところがあって、その刺激しか知らないでいると、世の中にあるもっと大きな刺激に対して無反応になってしまうような気がします。より広い意味でのゲーマーであろうとするならば、格ゲーに留まるのは得策ではありません。
最後にちょっと付け加えます。ラーメンって今ブームですけど、僕はどうも好きではないんです。脂と塩、旨味調味料、きつい匂い(臭気)、満腹感によって生じる刺激以上のものが見出せないためです(有名店ってのは結構食べたことがあります)。格闘ゲーマーによる格闘ゲーム信仰は、ラーメンマニアによるラーメン信仰と似てるようにも思えます。多分、本当に良いものだとしたら、前者は勝負事に精通した人が勧めるでしょうし、後者は食通が勧めることでしょう(どっちも快楽に関わるものである点は共通してます)。ただ、快楽主義の諸先輩を見たとき、格闘ゲームもラーメンも多分あまり評価されないんじゃないでしょうかね。こればっかりは人それぞれだから仕方ないか。
補足1:
こういうことを書いてますが、ガムは結構食べます。でも味覚的刺激を求めるわけではなくて、機能を求めるためです。最近の好みはキシリッシュの黒い奴です。
補足2:
ラーメンについてコメントを頂きました。ラーメンはラーメンでもシナそばって分類されるのは結構好きです。でも、家系とか二郎系ってのはちょっと合わないですね。僕はあれならお吸い物の方がいいと思います。ま、好みの問題だから気になさらないで下さい。
この記事へのコメント
嫌味とかじゃなくて単純に気になるんですけど、逆に液体さんが好きな食べ物ってなんですか?
ラーメンでも中華料理屋さんではよく食べるんですけど、このところ流行ってるらしいギトギトの系統はきつくて(しかも食べると体調を崩してしまう)。これは僕のただの好みですからあんまり気にしないで下さい。もちろんラーメンが好きって人の気持ちもよく分かります。
好きな食べ物は美味しいものとしか言いようがないです。無難なところでは焼き魚とかでしょうか。