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<<   作成日時 : 2006/06/25 21:31   >>

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今の僕が一日どんな風に行動して、何を考えたのか書き残そうと思います。こういうものがあると、何年か先にとても愉快な思いができますから。

まず、深夜から朝にかけてはテレビを見ながらこのブログの文章を書き、本も適当に読みました。その内容は、トップから参照してください。そのときの僕の考えは全部書いてあります。

その後、強烈な共感を覚えずにはいられない白洲さんの旧邸宅へと出かけました。その気になったら歩いても行ける距離にあるのに、行けるときに行かないのはおかしいと思ったからです。やらない理由が見つからないのなら、速やかに実行するのが僕のポリシーでもあります。

行ってみると、僕は、そこかしこにデジャヴュを感じました。中でも驚いたのが、本棚でした。本当に100%僕が思った通りの本が並んでいました。もちろん、万葉集もありました。そして、三島由紀夫はありませんでした(村上春樹もありませんでした)。澁澤龍彦もありませんでした。代わりにあったのは小林秀雄とロシア文学(ドストエフスキー等)の翻訳でした。で、森鴎外があり(僕が初めて感銘を受けたのはドイツ三部作)、夏目漱石はありませんでした(僕も好きではなくて持ってません)。僕はこれが理解できます。なぜなら、僕が少し文学的な毒に冒されているに対して、彼は全くそうではないからです。およそ、意識して飾り立てることの必要性が彼にはなかったからだと思います(でも、鴎外が中心にあるってのが大事なんです)。

館内の展示の中に、白洲さんご夫婦は「趣味は趣味でも、“hobby”は違ったが、“taste”は共通だった」という趣旨のことが書いてあって、なるほど、確かに僕は彼と具体的に読む本こそ違っていたけれど、“taste”は全く共通しているのだと思いました。ただ、あのまま彼の本を僕がそっくり継承したとしても、何の違和感もありません。

更に、最も驚いたのは彼の筆跡です。僕はまるで自分が書いたものかと思いました。例えば、澁澤さんの筆跡からも、確かに似た要素を感じることはありますが、澁澤さんの字は作品全体から感じられる人相風体とは全然違って、丸くて愛らしいのです。「理解できるし、全体としては似てるかもしれないけど、やっぱりちょっと違うなぁ」といったところです。これは他に僕が敬愛する人を見たときも一緒です。しかし、白洲さんは違いました。僕は自分と筆跡が似てると思える人を初めて見つけました。これが、デジャビュなんだと思います(そしてまた、白洲さんならもっと硬い単語を使うはず)。妄想と言われればそれまでで、全て似てると思いたいだけなのもまた事実なんですが、それでも、客観的に一歩引いた上で眺めてみても、似ていると述べるに足るだけの要素があると確信できるものでした(新潮文庫の中の対談記事での口調も僕の口調と似てると確信できます)。でも容姿は全然違います。あんな美男子とはとても似つきません(でも、全体的な雰囲気だけは似ていて欲しい)。

こういう人が自分の側に住んでいるんだと知ることが郷土愛の原点であり、史蹟名勝を訪ねる際の興奮はこのようなものなのだと分かりました。人間は、尊敬する人、他人とは思えない人のことを少しでも知りたいと思って、その土地を歩いたり、記念館のごときものを訪ねたりするのでしょう。この気持ちなしにただ連れて行っても無駄です。世の教師連中の大半には、こういうことを考えて子供たちを導いて貰いたい限りです。こんなカッコいい人がすぐ側に住んでいながらにして、旧白洲邸を歩く若者が僕を除いて一人もいなかったのが残念でなりません(それどころか、老齢のご婦人がひしめき合って「次郎さん!次郎さん!」と色めき立つのみでした。まあ僕も恥ずかしい自慢をすると、年配の女性にだけはそれなりに人気があるようで、これを見て愉快に思いました)。それにしても、東京近郊の暇な大学生諸氏には旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」を必ず訪れてもらいたいと思います。

帰りは、僕が使っても唯一サマになりそうな、白洲さん手製のものを再現した竹製の靴べらを買って帰りました。あとは本を一冊(これがまた河出から出てるあたりが嬉しいのです)。その後、100円回転寿司で(普段は160円なのが水金は100円で、もちろん職人さんが握っています)、軽く食べて家に戻りました。回転寿司ってのは、質が悪いとダメですけど、それなりの質だったら、入店してすぐに食べ始めることができて、僕のようなセッカチで待たされるのが嫌な人間にとっては最適なのです(そのくせ、少食だから安上がり)。

道すがら、ダイドーの自販機で、「復刻堂シリーズ」のサイダーを買ってみました。昔は炭酸飲料が飲めなかったんですけど、アメリカ滞在中にコーラを飲みまくってから好きになったのです。これが良いのは、心地良い泡の刺激のみならず、胃の中でそれらが溜まって膨れて、ゲップとなって爽やかに排出されるところです。その間、人間の生理的なメカニズムを感じずにはいられません。ケミカルなものはケミカルなりの良さがあります。といっても、後がスッキリしてることが第一条件です。もちろん、自然のものもそれと同等以上に好きですよ。

こうして部屋に戻りました。改めて僕の部屋を見たとき、白洲さんのことを思い起こさずにはいられませんでした。部屋というのは、澁澤さん流に言えば、「子宮であり、母親」となります。恐らく、僕が甘えてばかりいるのと同様、白洲さんもそうだったのだと思います(僕が敬愛する人はみなマザコン気質を共通して持っていることが部屋を一目見ただけで分かります)。部屋に何でも揃ってないと気が済まない人は、かなりマザコンの度合いが強いのではないでしょうか?そう見たほうが面白いから、僕はそう見ます。そういえば、胎教とか流行ってますけど、母親の背中に耳をつけてしゃべってもらって下さい。言語はわかんないんですよね。音の高低と音色以外はぼやけてしまいます。ただ、何となく、中に居ても伝わるものはあるのでしょう。妊娠中の母親が実家に戻るというのは、要らぬ口喧嘩などを避け、母子共にストレスからフリーになるためにも有効なのかな、と空想しました。

寝る前に何となく音楽が聴きたくなって、モーツァルトの小作品を聴きました。オーディオってのも不思議なもので、そもそも機器の質が一定未満だと必要な音が聴こえないのです。鳴ってないんだから聴こえるわけがありません。空間が全然再現されません。だから、クラシックなどを楽しむためには、それなりの機器を揃える必要があります。粗悪なイヤホンでは椅子の軋みも演奏者の呼吸も楽器へのタッチも何もかも聴こえません。それらが少しは聴こえるものを使ったほうが、より充実した楽しみを得ることができます。ただ、何百万もの物を揃える必要はありません。それはそれで良いですけど、マンションの小部屋なんかでは音が出せないし、不釣合いです。自分に出せる金額内で最高のものを買うのが良いと思います。

で、何となく眠くなってきて眠りました。クラシックで言うと、僕はバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンそれぞれが勿論好きで、よく聴くんですけど、最も好きなのはリストなんですよ。リストの「超絶技巧練習曲集」を聴いたらたまげます。あんなものを聴いてしまったら、自分の指なんてオモチャにしか思えなくなります。機会があったら聴いてみてください(横山幸雄さんのものがオススメ)。

こんな一日でした。

ゲームはどうだろう。僕は白洲さん流に言うと、“hobby”と“taste”は別々に分けてます(後者が上位)。しかし、格ゲーをやっていたときは、両方とも格ゲーで埋まってました。“hobby”だけならまだしも、“taste”の意味での趣味が「格ゲー」だなんてゾッとします。今考えてもおぞましい限りです。

参考画像:

白洲さんの家のポストです。彼の態度が如実に表れていると思います。ところで、間違って食事の写真のディレクトリに今日の写真を入れてしまったいました。これを、「『精神的には食事』だったと僕は見做したんだ」と思うこととします。精神といえば、彼みたいな人を日本語では、「竹を割ったような」と言えばいいんでしょうか。竹の靴べらからはそれを連想します。「プリンシプル」ってのはこういうことですよね。関係ないけど、乗り物の中では、電車って最もこれに忠実ですね。男が電車に惹かれる気持ちの裏には、この「プリンシプル」を求める気持ちがあるのでしょうか(ちなみに、僕も、幼児期は電車に異常なまでの魅力を感じていたようです)。


参考:
武相荘 公式ホームページ
http://www.buaiso.com/index.html

その時歴史が動いた(白洲次郎特集)
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_04.html#01

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