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zoom RSS 読書の意味

<<   作成日時 : 2006/07/07 08:01   >>

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前に、茂木健一郎さんとクオリアについて細々としたことを書きました。しかし、一冊も著書を読んでおらず、幾つかの対談記事に目を通し、TV番組での台詞を聞いただけの状態だったので、ちゃんと読みました。

クオリア降臨クオリア降臨
茂木 健一郎

文藝春秋 2005-11-25
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これに関してもあらかじめ断っておきます。僕は2006年7月7日までこの本を表紙以外には全く読んでません(表紙で内容は想像できましたけど)。ですが、それにも関わらず、この人が極めて僕と近いことを、極めて近いスタイルで述べているような感覚を抱きました。もしかすると、このブログの読者の方も、「こいつはパクったんじゃないか?」と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。でも、そう思われたならば、素直に茂木さんの本を読めばいい話ですし、それで不満なら次は三島由紀夫、更に不満ならば『マルドロールの歌』と飛んでいけば済むことです。ぜひ、より上位のものに触れてください。

読書という行為についてちょっと考えてみます。僕は自分と読書の関わりをあまりよく思い出すことができません。「文字を覚えたのが比較的早く、2歳には既に絵本を読み聞かせてた」、「ゲームの攻略本を読んだ」、「一流と呼ばれる批評を読んだ」と幾つかのエピソードを覚えているだけです。ただ一つ言えるのは、ある時期までは何らかの知識を吸収するために読んでいたのが、いつからか真逆になり、自分の中にあるものを確認するために読むようになっていたということです。現在の僕の読書スタイルは既にこうなっていて、この茂木さんの『クオリア降臨』にしても、「自分の考えていることを表現する術には、他にどんなものがあるのだろう?」と思いながら読み、読み終えて「こういう言い方もあったのか」と確認した感じです。まとめると、今の僕にとっての読書は、「新しい未知なるものを吸収する」ためよりは、むしろ、「頭の中にあることを確認する」ための行為となります。これもまた不思議な話です。

どういうわけか、今の僕はある種の危険な錯覚をしています。人生を終わりから見て、物語仕立てに考え、ストーリーを作り、それを確認するために生きてると思っている節があります。これには、僕が「挫折」、「努力」、「頑張り」などの体験を持たないことが大きく関連してるかもしれませんが、こういう妖しげな妄想下で生きているのだけは間違いありません。でも、この感覚はどうも僕固有のものではなく、以下の小林秀雄の文章を繰り返し引用する茂木さんからも感じます。更に、誰もが持つ普遍的なものと言っても間違いではないようにさえ思えます。

「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」(『モオツァルト・無常という事』 P.75より)

さて、ここで、この「確認するために読む」感覚をもうちょっと考えてみると、ここには、自分が否定されることを恐れる気持ちがあるように思えます。何に対してもこういう考え方を取るようになると、一種の全能感(中2病とも)に浸ることができます。で、このように見られないのが自然や芸術のごときもので、僕は、この手のものに触れたときに、なぜか涙を流します。特に、人が見てるかどうかは関係なく流します。この点、茂木さんは人の意識を想定することなしにこのような行為は成り立たないと言うのですが、「泣いている今の自分を、泣き終わった自分によって見られたい」という分裂症的な願望が背後にあると考えても良いのかもしれません。とはいえ、僕にとっての感涙は、何か抑えようのないものが暴走して、考えることができなくなっていることに対しての生理的な反応でしかないと捉えたほうがしっくりきます。このあたり、いかようにでも考えられますが、この「いかようにでも……」ってのが、先に述べた全能感の象徴だと思います。これは、コントロールしていかないと絶対に身を滅ぼすような気がします。ここで、将来の自分のために戒めておきます。

取り留めのないことを最後に少し。僕にとって大事なのは「言行一致」、「知行一致」であり、あらゆることはパフォーマンスによって示されるべきだと信じています。そのゆえか、茂木さんがこれから一体何を作り上げていくのか、はたまた、失礼を承知で言うと、これから先にそもそも何かを作る気があるのかに僕は強い関心を持っています(その裏に、“qualia”と命名する故の探求不可能性もあるはずだと思っていますけどね)。と同時に、こういうことを言っている僕自身が何を為すのかにも、より一層強い関心を持っています。形が無ければ存在しないのと一緒なわけで、「これだ!」と言い切れるものを一つでも良いから作りたいですね。「『ですね』って誰に言ってるんだよ」ってこれを書いてて思いますが、このブログの価値は、これから先の僕の行為によって決まるわけで、小林秀雄流を真似ると、現段階では「ブログになりつつある一種の文字列」に過ぎません。ま、先のお楽しみとしてこの記事は終わります。


参考:
「ゲーム」の記事(たまには上から順に読んでみてください)
http://liquidmetal.at.webry.info/theme/0f1f9f0dea.html

表記のミスとゲームのミス、そして命名
http://liquidmetal.at.webry.info/200606/article_35.html

ゲーム&脳のニュース
http://liquidmetal.at.webry.info/200606/article_29.html

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