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zoom RSS 気持ち悪いもの

<<   作成日時 : 2006/11/17 23:01   >>

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代理でとある講演会を聴いてきました。場所は青山ブックセンター本店でした。こういう試みを企画する本屋さんというのは魅力的だと個人的には思います。

講演会は作家さんと、学者と作家の両形児みたいな人との二人によるトークライブ形式のものでした。目立った内容は無く、朗読と雑談を聴いただけという印象でした。それが終わると参加者からの質問でした。質問者の分際で3分以上もまくし立てたりする人も複数いて、不愉快な思いをしました。

作家は顔を出すべきではないとよく言われますが、まさにその通りだと思いました。大体、顔を出して語る必要性が無い、場合によっては、その資格が無いと自認するからこそ活字で物を表現するのだと思います。嬉々として自作の散文や詩を朗読し、それをうっとりとしながら聴く人々の構図からは、かなり異様なものを感じます。本屋の片隅で数十人単位を対象としたものだったのが幸いです。これが、もし千人以上を対象としたような大規模なものだったら、さぞおぞましかったはずです。

当然、言葉が主たる話題になるので、一応そういう研究に首を突っ込んでいる者からすると、興味を惹かれることになります。今回面白かったのは、言語表現に込められた作者の身体のごときことです。これはアカデミックなことではなしに、言葉を、身体のある種の拡張の結果として捉えるくらいの単純なことです。こういう捉え方をすると、このブログのように作者不詳で完全に観念そのものの文章はどうなるのでしょうか。身体と観念の間には境界線が無いことになるんでしょうか。そりゃ観念なんて人間が生み出したものですから、無いに決まってるんですけど、人間を分解する方法を考えることの楽しさを思い出しました。実体ある一人の人間が死んだ時に残るのが脂カスですけど、それでは、その分身体としての言語表現が死ぬ時には何が残るんでしょうかね(分身体と人間に擬えるならば、死ぬことも必要)。「言葉の脂カス」なんてメタファーから世界を押し広げたらちょっとした世界を構築できるかもしれません。

言葉の悪い点というのは、誰でも話せて不自由しない程度のことを知っているだけに、誰もが一家言を持っていることにあります。しかし、往々にしてそれは実態と離れるものなのです。例えば、「肉体は変わるが、言葉は絶対に変わらない」という物言いがあったとします(実際にありました)。これはなんとなく納得できる気もしますが、「変わる」のが理論的にも実証的にも妥当な捉え方です。それでも、少し無理をすれば絶対に変わらない要素を見出すことも不可能ではありません。もしかすると、その自由度ゆえに、「新しい見方を提示する」という意味での批評を誰もが気持ち良く行えるのが魅力なのかもしれません。しかも、検証されることは滅多にありませんから安全です。こう書くと、講演会が実は淫欲の披露会のようにも思えてきて、少し愉快です(もちろん、比喩的な意味で)。

話が散漫になってきたので終わります。


参考:
言葉と関連したニュースです。

「タイガー君」が1191人誕生=新生児の名前調査―英
http://news.www.infoseek.co.jp/entertainment/movie/story/20061117afpAFP009642/

子供の名付け(命名)DQN度ランキング
http://dqname.selfip.net/
↑しいたけ(しいたけ)、はあんまりじゃないでしょうか。

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